ボブログ

「なんとなく」に出会ったら、まず調べてみる

 

齋藤さん
齋藤さん
みなさん、こんばんは。favorite gardenの齋藤です! 「なんとなく知っているけど、きちんと知らないこと」って多くないですか? 今日は、僕自身が実践している“なんとなく”をきちんと調べる習慣をつけると、こんないいことがあるよという話をします。

 

三原色を正確に説明してください、と言われたら?

R(赤・Red)、Y(黄色・Yellow)、B(青・Blue)だと思ってる人がたくさんだと思う。正確には光の三原色の場合はR(赤・Red)、G(緑・Green)、B(青・Blue)だ。R・G・Bを混ぜ合わせると光の場合はすべての色を表現することができ、混ぜるほど明るくなり全てを混ぜると白になって見えなくなる。

そして大体の人が間違ってるのが、色材の三原色。Y(黄色・Yellow)、M(赤紫・Magenta)、C(青緑・Cyan)これが正解だ。減法混色で混ぜるほど暗くなる。

「なんとなく覚える」でも、ある程度はできると思うし、だから皆正確に覚えないのかもしれない。ただ、その“なんとなく”を数値化したり、調べ尽くしたり、正確に覚える作業をしていると大きな自信になったり結果につながったりする。

 

写真のトレンドを「なんとなく」から深く掘り下げると?

ここからは、僕が最近感じた写真の「なんとなく」の話を深く掘り下げてみたい。ボケ感やギミックを効果的に入れたり、ブレさせたり光を取り込んだり。キャッチーな(今っぽい)写真には大体こういうものが取り入れられており、大ブームと言っても過言ではなさそうだ。

まず、顔に光を当てるのは本当にエモい(emotional=感情を動かす)のか? ということを考えたい。端的に言ってしまうと、光の筋を入れるのはキャッチーでエモく見せるため(目的)あるべきなのに、光の筋を入れること自体が目的になってしまっている場合が多いのでは? ということだ。ブレやボケ感やにじみもそうだ。目的に対しての手段でしかないのに、その技術だけを見ている人が多すぎる気がしている。

少し時代の流れに沿って注目された写真家とその作風を振り返ってみる。僕自身が鳥取で生まれたのもあり、故・植田正治さん(1913~2000)のことをよく調べたことがある。ぜひ読者の皆さんにも調べてほしいのだが、素晴らしい演出写真だ。それでも、写真はリアルを写すものだという時代の流れが到来し、売れなくなったこともあったらしい。

写真はリアルを写すものという時代の代表カメラマンとして僕が思いだすのは、故・土門 拳さん(1909~1990)だ。絶対非演出のリアルスナップ、背景には戦争があったからではと想像する。これはウィキペディアで得た情報だが、女性のポートレート写真についても、深い被写界深度でシミやシワなど遠慮なく映し出したので被写体となった女性たちから不評を買うことも少なくなかったと。その一方で、どうしても土門さんに写真を撮ってもらいたいという女性もいた。これは個人思想の違いで、よりよく見せたいという考え方と、リアルな自分をさらけ出したいという考え方が当時からあったのだと思う。

2019年12月に発売され今も売れ続けているという、田中みな実さんの写真集『Sincerely yours…』を拝見したが、肌のレタッチがほとんどないリアルな肌の写真集だったことに驚いた。これは僕が思うに土門 拳さん的思想、土門さんに写真を撮ってもらいたい女性的思想ではないだろうか。売れたという事実から、現代に生きる女性の思想も垣間見ることができるな……とも思う。

戦争を背景にした絶対的リアリズムではないけれど、そんな時代があったということを知っているか? なんでそうなったかを知っているか? ということが、同じものを見た時の思考の深さにつながるのは間違いない。

キャッチーに感じさせるため、エモさを求めるためだけに出された写真は、消費される写真だと個人的には思う。大量生産しやすく、大量消費されてしまう。(ただ、それがダメだとも言い切れない。アートの歴史には大量生産と大量消費の時代があったように)

キャッチーに、エモくするのがダメってことでもない。大量に生産された側、消費する側に回るのが、つくる側の人間(美容師はここに入る)ならダメなんじゃないか? ってことが言いたい。模倣することがいい、模倣することがダメということでもなくて、そこに思想や想い意味が入ってないからダメなだけだ。意味を知るってのはそういうところまで深く考えているか? だ。

自分の解釈次第でいろんな言い方ができるし、都合よく捉えることもできる。だけど深く意味を知り、考えれば、自分だけの見え方、発信につながり、それがあるからこそ人に響く何か、になるのかもしれない。

いま流行っているものにアンチテーゼを投げかける。なんでそれはそうなんだ? なんでそうじゃないんだ? 極限まで考えるといつも僕は“何もないもの”につなっがてしまうことが多いが……(笑)シンプルなものに最終的になってしまうのだ。シンプルな白バックに深めの被写界深度。そのときの構図は? など、時間を割いて深く考える。意味を知る。

長く見れるもの。長く生きていけるもの。結局は長く続くもの。
どうやったらそれになれますか?っていう答えには、なれるまで辞めなかったら。
意味を知る。今日は少し深い思想の話。

齋藤 隆志(favorite garden)

AUTHOR /齋藤 隆志(favorite garden)

「虹プロ」にハマり、NiziUからTWICEに飛び火してそのままONCEになりました(笑)

この記事が気に入ったらいいね!しよう
Facebook Twitter Line

PICK UP BLOG

\ ボブログTV 公式SNSで最新情報をゲット! /