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ジャズる!? ボブログ音楽食堂Vol.19 リンダ・ロンシュタットの巻
情報社会に埋もれてしまった名曲/名盤(迷盤!?)のホコリを払って美容師のみなさまに紹介している「ボブログ音楽食堂」。
二話まえのVol.17から加わった新コンテンツはずばり!「ジャズ」。各方面で超が付く優秀な音楽家たちでさえ取り組むのに相当な覚悟を要する、とても高次元な音楽フォーマットです。
このシリーズ企画「ジャズる!?ボブログ音楽食堂」ではまず、JAZZに羨望の眼差しを向けるロックンロール、ソウル、ポップス畑のミュージシャンたちが録音したジャズ「ふう」の作品=セミ・ジャズ・アルバムにスポットを当てています。
いきなりJAZZはちょっとなぁ…好きだと言ったらマニアにイジられそうだしなぁ…と気後れした貴方も、ここから入れば少しずつ身体はほぐれ耳が肥え、気付いた時には「さあ、どこからでもかかっていらっしゃい!」という位の筋力が備わっているかも!
[序章] メキシコ国境に咲いた一輪の「歌花」
2023年現在のロック・ポップス畑で絶大な人気・売り上げを誇る女性シンガーはテイラー・スウィフト氏ですが、遡ること70~80年代に「最も稼ぐ女性シンガー」と呼ばれていたのが、今回の主役=リンダ・ロンシュタット / Linda Ronstadt 氏です。
決して技巧的に秀でた歌手ではありません。彼女の最大の特徴はその「声」で、取り上げる曲が何であれ力いっぱい歌い上げるスタイルは時に不器用にさえ聴こえます。「自分の声が観客の耳に届いているか心配で、いつも力いっぱい大きな声で歌う癖がついたのです」と本人は語りますが、これは謙遜だと聴けばすぐ判ります。
またロンシュタット氏が唄うと、曲にペーソス(=悲哀)という隠し味が加わるのも大きな特徴です。何かをしながら聴いていても声の磁力に引き寄せられて、つい手を止めて聴き入ってしまいます。
彼女は米アリゾナ州ツーソンで音楽好きの祖父母・両親・兄弟姉妹に囲まれて生まれ育ち、十代半ばに地元で歌い始めてすぐに “凄い声の持ち主で歌が抜群に上手い女の子” として注目を集めます。
プロとしてのキャリアは1967-68年、フォーク・トリオ The Stone Poneys / ストーン・ポニーズ が最初期。このグループ名義で米Capitol Records(キャピトル・レコーズ)に計3枚のアルバムを残しますが、彼女の歌が余りに秀でていたので “リンダ・ロンシュタット+仲間たち” と扱われたほどでした。
ストーン・ポニーズ解散後1969-72年まではソロ歌手としてCapitolと契約を続け、ソロ名義で更に3枚のアルバムを録音しましたが、ロンシュタット氏が米音楽業界の「台風の目」となったのは、1973年に米Asylum Records(アサイラム・レコーズ)へ移籍して録音したアルバム「Don’t Cry Now / ドント・クライ・ナウ 」からでした。
先述のCapitol期まではフォーク~ソフトロック色が顕著だったサウンドは、どこを切ってもアメリカ国旗がはためくロックンロール~カントリー色が濃厚に。そして歌声はまるで一気に10歳くらい成熟したかのようで、聴き手の琴線に響くどころか鷲掴みにするほど強力に変貌していたのでした。
また先記のDon’t Cry Nowに続くAsylumでの二作目「Heart Like A Wheel (1974 )」は声に色・艶が加わり、強力な演奏陣との化学反応も手伝って既にこの時点で円熟の境地に至ったかの様です。
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[第一章] What’s New=この頃どうしてた?
ロンシュタット氏のロック歌手としての記述は前章に留め、ここからは今日の主題=彼女のセミ・ジャズ・アルバムの話しに入ろうと思います。
メガ・セールスを叩きだしたロック/ポップス畑のシンガーがセミ・ジャズ・アルバムを作るのは、ハリー・ニルソン氏1973年の「夜のシュミルソン(A Little Touch Of Schmilsson In The Night」など、70年代前半から既に存在していた企画です。
音楽の拡散媒体としてMTVが台頭していた1982年にはアルバム「ゲット・クローサー / Get Closer」がチャートを爆走したリンダ・ロンシュタット氏ですが、翌1983年に誰も予想も期待もしていなかった超ド級のセミ・ジャズ・アルバム「ホワッツ・ニュー / What’s New」を発売します。
当時のアメリカで最も稼いでいた女性ロックシンガーが、売り上げを見込めないジャズ・アルバムを録音したのですから米音楽業界はビックリ仰天。しかもアルバムの名義が “Linda Ronstadt & The Nelson Riddle Orchestra” だったので、ロンシュタット氏を知らない堅気のジャズ愛好家まで巻き込んでの大騒ぎとなったのであります。
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[第ニ章] シナトラとリドルに憧れた女性ロックシンガー
ロンシュタット氏のセミ・ジャス・アルバムの「名義」を見たジャズ・ファンがひとり残らず連想したのは、米音楽業界の国宝的歌手フランク・シナトラ / Frank Sinatra氏が名編曲家:ネルソン・リドル / Nelson Riddle氏と録音した2枚のバラード・アルバム「In The Wee Small Hours / イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ(1954-55)」と「Only The Lonely / オンリー・ザ・ロンリー(1958)」でした。
50年代のリドル氏はエラ・フィッツジェラルド氏やナット・キング・コール氏など、超一流のシンガーたちが先を争って指名するほどの超人気編曲家。特に先記のシナトラ氏のバラード・アルバムは、例え優秀なアレンジャー10人が知恵を持ち寄っても完成し得ないであろう世紀の名編曲が施されていました。
ロンシュタット氏のセミ・ジャズ・アルバム構想の源(みなもと)が先記の2作品だったことは、同じ編曲家を起用し同じアルバム収録の数曲を取り上げたことからも容易に推察できます。
1983年当時ロック畑の女王様として爆走中だったロンシュタット氏が、3万枚売れれば御の字=運が良くても数万枚しか売れないと判っているジャズ・アルバムにがちんこで取り組んだことは、いま思い返してみても驚愕の極み。彼女のヒット・アルバムをリアル・タイムで買っていた私の世代には、かなり無茶~無謀な企画に映ったというのが本音です。
ところがこのアルバム、ロンシュタット氏の名唱とリドル氏の名編曲が織りなす落ち着いた雰囲気とは裏腹に、ダイナマイト級の波及力であっという間にダブル・ミリオン=200万枚を売り上げたのでした。
この「200万枚」という売り上げは、我らが歌姫テイラー・スウィフト氏2020年のアルバム=フォークロア / folkloreのストリーミングを除く初週売り上げ枚数とほぼ同等。繰り返しになりますが、ロンシュタット氏のWhat’s Newはセミ・ジャズ・アルバムで200万枚ですから、IKKOさんでなくとも「どんだけー!」と言いたくなるほどの怪物アルバムだったことが判ります。
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[第三章] 二匹目は「鯛(たい)」!?
セミ・ジャズ・アルバムが予想外の特大ホームランとなり、気を良くした版元が「二匹目のどじょう」を狙うのは至極当然の流れですが、次作に「高級魚」を納品したのは流石ロンシュタット&リドルの最強タッグ!
未曽有の大ヒットとなった一作目の「残り物」を放り込んでも楽に稼げたでしょうに、セミ・ジャズ・アルバムのコンセプトはそのままに「実はこんな風にもやってみたかったのよ」と翌1984年に「Lush Life / ラッシュ・ライフ」を録音しました。手堅い企画としてセミ・ジャズ・アルバムを録音する老ポップ・スターとは心意気も次元も違います。
一聴して感じるのは溢れんばかりの創作意欲と「隙間」を贅沢にあしらった編曲&演奏。あれれ!? 今回は小編成のコンボで録音したのかな?と思った頃に流麗なストリングスと管楽器隊が絶妙のタイミングで滑り込んでくる「緩急」の付け方が流石!ロンシュタット氏も前作より肩の力を抜いて優しく歌っているのが伝わってきます。
この二作目Lush Lifeが発売された1984年、なんとロンシュタット&リドルのチームは「ワールド・ツアー」を敢行します。小編成のジャズ・コンボを連れた身軽な旅ではありません。「リンダ・ロンシュタット with ネルソン・リドル・オーケストラ」としての世界巡業はリズム・セクション(ピアノ+ベース+ドラムス+ギター)だけは固定メンバーで、オーケストラ=管弦楽団は訪れた国・地域で現地調達。これで入国~リハーサル~本番~次の演奏地へ移動……ですから、手間も費用も降りかかる災難も正にオーケストラなみに膨大だったはずです。
日本では6公演=3/30日本武道~3/31東京プリンスホテル~(4/1日本武道館は第13回東京音楽祭のゲストで出演)~4/3神奈川県民ホール~4/4NHKホール~4/6大阪フェスティバルホール~4/7名古屋市民会館 が行われ、コンサートの模様は民放TVでも放映されました。
その日本公演のステージで「スタンダード曲を集めたアルバムを、ネルソン・リドルさんの編曲で作りたいとレコード会社に相談しましたが、まるで私が中国語を話したかのように全く通じませんでした。一枚目のWhat’s Newが成功したので、こうしてリドルさんと日本で演奏することができました」とロンシュタット氏が語ったのを憶えています。
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[第四章] 名手ネルソン・リドル「辞世の編曲」
ロンシュタット&リドルは1986年、セミ・ジャズ・アルバムの三作目「For Sentimental Reasons / フォー・センティメンタル・リーズンズ」を発表します。
しかしリドル氏は収録曲すべてのアレンジを自ら書き上げるも、自らの指揮で全曲を録音することが成就しませんでした。制作途中の1985年10月に心臓病で急折したため、残されていた 「Straighten Up and Fly Right」「Am I Blue」「I Love You For Sentimental Reasons」 の3曲は”代振り”で録音されました。
こう綴ると “なーんだ、志半ばの中途半端な作品かよ” と思われるかもしれませんが、全曲リドル氏の指示が編曲として楽譜になっていたので、音楽的な完成度は前の二作となんら遜色ありません。むしろ編曲のアプローチを意図的に変えたかのようで、暖かさと優しさがいっそう増したロンシュタット氏の歌声はまるで「慈愛の境地」に達したように聴こえます。
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[最終章] 歌えなくなる前に終止符を打った歌手人生
リンダ・ロンシュタット氏はセミ・ジャズ・アルバム三部作の後、今度は自身のルーツ音楽を探求した「メキシコ音楽三部作(全曲スペイン語)」に取り組み、英語以外で吹き込まれたレコード史上最大の売り上げ枚数を叩き出しました。
レコード売り上げだけでなく音楽的な「守備範囲の広さ」と「懐の深さ」でも世界有数のポピュラー歌手として君臨したリンダ・ロンシュタット氏。90年代半ばからは健康状態と折り合いをつけながら断続的な活動~制作を続けていましたが、2013年には患っていたパーキンソン病が進行しているため歌手を廃業すると公表しました。パーキンソン病の中でも薬が効かない珍しい症例だそうで、2023年現在はサンフランシスコの自宅で家族と友人に囲まれながら療養を続け穏やかに暮らしています。
最後に。ジャズ・シンガーの三大ディーヴァ(エラ/サラ/カーメン)のひとりカーメン・マクレエ(CARMEN McRAE)氏は「リンダ・ロンシュタットの歌声が大好き。彼女のレコードはよく聴くのよ」とロンシュタット氏のファンであることを公言しています。
またミュージカル映画「White Christmas」でも有名な歌手ローズマリー・クルーニー氏(Rosemary Clooney=俳優ジョージ・クルーニー氏の叔母)は「私は自分のステージに他の歌手を上げて一緒に歌うことは絶対にしません。でもこの娘だけは別。今日は私からお願いして来て貰いました」と紹介して共演したのを観たことがあります。
これはリンダ・ロンシュタット氏の歌声が音楽のジャンルや音楽家の垣根を越えて愛されていることを物語る好例ですが、実力と同じくらいプライドも高い米音楽業界トップ・クラスのプロからの賛辞・称賛としては、百分率で定量化できない位に稀有な例なのであります。
※ボブログ音楽食堂はこのVol.19を機に「休刊」となります
ボブログ音楽食堂「バックナンバー」のご案内!
Vol.1「心が洗われるような、いい音楽ありませんか?」は→コチラ
Vol.2「踊るROCKに観るROCK、ちょっぴり大人のAOR」は→コチラ
Vol.3「アラ40/アラ50のお手本としてアニーとクリッシーを拝むべし!」は→コチラ
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AUTHOR /easyman
ビートルズが来日した年の生まれ。美容師・介護士の免許と実務経験があり、座右の銘は“髪(かみ)のケアから下(しも)のケアまで”。某美容メーカーの教育部門に19年間勤務し、なぜかプロ音楽家との演奏経験あり。一人しかいないのにナンバーワン営業マンと呼ばれる髪書房の特攻隊長。