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ビートルズ豪雨後のタケノコを狩る!ボブログ音楽食堂Vol.11

-序章-

情報社会に埋もれてしまった名曲/名盤(迷盤!?)のホコリを払って美容師のみなさまにご紹介する「ボブログ音楽食堂」。Vol.11の今回は、1964年から世界中で産声を上げ始めたビートルズ・チルドレンの日本代表選手団「東京ビートルズ」です。ブログ内で音源をお聴かせできないのが残念ですが、そこいらのお化け屋敷をハシゴするより腰を抜かす可能性が「大」なので、読者のみなさまはくれぐれもご注意下さい!

 

-びびびの東京びーとるず!?-

前回の音楽食堂 Vol.10 でも綴りましたが、ビートルズの本国デビューは1962年10月。米国でI want to hold your handが1位になり、その人気が山火事のごとく世界中に飛び火したのは64年2月のことでした。それから僅か2カ月後のこと、外国文化の模倣追随においては右に出る者がいなかった我が国の芸能界は、さっさとビートルズのコピーバンドをでっちあげて強引にデビューさせました。その名もずばり「東京ビートルズ」。彼らの最大の特徴は、ビートルズの曲を日本語でカバーしたことです。

 

“meet the 東京ビートルズ”/東京ビートルズ(1964録音) 故:大瀧詠一氏監修のもと1993年にシングルAB面4曲をまとめて初CD化されあっという間に2万枚を売り上げた。日本語の歌詞は「訳詞」ではなく巨匠:漣健児氏作の“はめ詞”。

 

 

時は1964年2月。ビートルズの爆発的人気を聞きつけた雪村いづみ氏の芸能事務所:木倉プロがブーム便乗を画策し、まだほっぺに赤みが残っている若手歌手を寄せ集めて「東京ビートルズ」を急ごしらえします。メンバーは、ジョージ岡/須藤マコト/斎藤タカシ/市川次郎の4氏。うち2人は楽器がまったく弾けなかったので、実演用に田村一郎(ギター)と加瀬沢道雄(ドラムス)の2氏を影武者として雇用。ビートルズのコピーバンドなのにメンバーが6人と、既にスタートから常軌を逸しています。

 

 

 

 

結成から2週間で初ライブ

バンド結成からたった2週間のリハーサルを経た3月15日に横須賀のキャバレー「グランド・オスカー」の舞台で初お披露目。もともと大手芸能事務所がでっちあげたグループですから、レコードデビューは既にお膳立済みです。4月3日に築地のビクタースタジオで1stシングル「抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー」を録音し、その月末には“臨時発売!”のキャッチコピー付きでリリースされました。

 

“抱きしめたい+プリーズ・プリーズ・ミー”/東京ビートルズ (45回転レコードのジャケット) 聴く度に思考停止と腸捻転が同時に起こる1stシングルは、当時の日本人が英米Rockをどう捉えたかを研究する資料としても価値は「大」。衝撃度だけで語るならABBAのシングル「Dancing Queen / That’s Me」にまったく引けをとらない。

 

 

 

彼等は毎回真っ白なTシャツとズボンを舞台衣装にするのですが、これはファンに“リアル書き込み”させるためのお膳立て。会場のファンは次から次へと舞台へ乱入し、「ぎゃーっ!」と叫びながらマジックペンで「マコト命」とか「タカシ抱いて!」とメンバーが着ている白シャツに書き殴ります。その間メンバーはただ恍惚とした表情を装って書き終わるの黙って待っていたそうで、もうこうなると「茶番」という言葉でさえ表現し切れない状況です。なおこの異様な様子はYouTubeで“東京ビートルズ”と検索すればフツーに観れます。

 

“キャント・バイ・ミー・ラブ+ツイスト・アンド・シャウト”/ 東京ビートルズ (45回転シングルのジャケット) デビュー盤から僅か3カ月後にリリースされた2ndシングルで、初めて耳にした時の衝撃度はマイク・タイソンがイベンダー・ホリフィールドの耳を噛みちぎった試合の実況中継に等しい。

 

 

 

わずか1年、テケテケの波にのまれ消え去る・・・

地方公演に出かける時は毎回100人を超えるファンが東京駅のホームで見送るという大混乱。なぜかホステスのお姐さま達からの人気が絶大で、「差し入れよっ♡」と渡された弁当箱を開けると壱万円札が入っているのは珍しくなかったとか。請求書と督促状しか貰ったことがない私にはなんとも羨ましいお話しでありますが、そんな彼らの人気も一年もたずに「急衰」します。その原因は65年1月にノーキー・エドワーズ、ドン・ウィルソン、ボブ・ボーグル、メル・テイラーの四人組で来日した米国ロック・インスト・バンドの「ザ・ベンチャーズ」。黒船インストバンドにシビれた日本の若者は一斉に「エレキブーム」へと乗り換え、東京ビートルズは感電死。テケテケの波にきれいサッパリと洗い流され、跡形もなく消え去ったのでありました。

 

 

2022年の現在も世界中のあちこちでにょきにょきと育ち続けるビートルズ豪雨後のタケノコ。また続編やります。

 

ボブログ音楽食堂「バックナンバー」のご案内! 

Vol.1「心が洗われるような、いい音楽ありませんか?」は→コチラ から!

Vol.2「踊るROCKに観るROCK、ちょっぴり大人のAOR」は→コチラ から!

Vol.3「アラ40/アラ50のお手本としてアニーとクリッシーを拝むべし!」は→コチラ から!

Vol.4「アラ40アラ50にオススメしたい! 69歳の女性ロック・シンガー、クリッシー・ハインドの傑作スタンダード集」は→コチラ から!

Vol.5「おうちにいてもワイハでアロハ!!の巻」は→コチラ から!

Vol.6「違いの分かる女が斬る! J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲のあれこれ!」は→コチラ から!

Vol.7 「笑い転げて腸捻転!?世界の珍盤/奇盤/迷盤特集」は → コチラ から!

Vol.8 「唸るオルガン!その名はハモンド!」は → コチラ から!

Vol.9 「怒涛のハモンドオルガン特集 其の弐」は → コチラ から

Vol.10「ビートルズ豪雨後の筍を狩る!(其の壱)」は→ コチラ から

 

 

easyman

AUTHOR /easyman

ビートルズが来日した年の生まれ。美容師・介護士の免許と実務経験があり、座右の銘は“髪(かみ)のケアから下(しも)のケアまで”。某美容メーカーの教育部門に19年間勤務し、なぜかプロ音楽家との演奏経験あり。一人しかいないのにナンバーワン営業マンと呼ばれる髪書房の特攻隊長。

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