ボブログ
笑い転げて腸捻転!? 世界の迷盤・珍盤・奇盤の誘い ボブログ音楽食堂Vol.7
【序章】
情報社会に埋もれてしまった名盤/名曲のホコリを払って美容師のみなさまにお届けしている「ボブログ音楽食堂」。Vol.7の今回は、迷える子羊ならぬ「完全に迷っちゃった音楽レジェンドたち」が20世紀に残した驚愕の音源をご紹介!いつもは変集者か熟年編集長との取材対談で進みますが、今回はお二人とも4月号の原稿締め切りにリーチがかかったとのことで急遽お休み。何ともトホホ…な理由により、ボブログ音楽食堂史上初“easymanの独り語り”で進めてまいります。
第一章:名作と迷作の違い!?
唐突ですが「映画」の話しから。もし20世紀の映画産業で最も輝かしい迷作を輩出した迷監督はだれか!?と問われたら、大半の人が エド・ウッド(Edward Davis Wood Jr. ) 氏を挙げることでしょう。女装癖を持つ主人公夫婦の葛藤を描いた「グレンとグレンダ/GLEN OR GLENDA (1953) 」や、どこからみてもハリボテの巨大タコとベラ・ルゴシ(初代のドラキュラ伯爵を演じた名優)が沼で死闘を繰り広げる「怪物の花嫁/BRIDE OF THE MONSTER (1955)」などは、当時の映画評論家たちを激怒させたと同時にティム・バートン氏やクエンティン・タランティーノ氏やデヴィッド・リンチ氏など、現代映画の旗手たちにそれはそれは多大な影響をもたらしたのであります。
第二章:マダムのお歌はエクスキューズ!?
さて、第一章で触れたエド・ウッド氏をはじめ、外から見れば度が過ぎたおふざけにしか見えない作品を輩出した自称:芸術家たちの取り組み方には「共通の方程式」があり、真剣そのもの+自信満々=勘違いの自覚が皆無 であったとの証言が残されています。そこでボブログ音楽食堂Vol.7のトップバッターは、フローレンス・フォスター・ジェンキンス女史(Florence Doster Jenkins 1868-1944)にご登場頂きます。時は第二次世界大戦終結直前の1944年。暇とお金を持て余し危機感もへったくれもなかったアメリカの富裕層たちを笑いの渦に叩き込み、次々と腸捻転にして病院へ送り込んだ功労者がこのジェンキンス女史であります。
巨大石油会社の社長夫人だった女史は、“元夫人”となりたっぷりと慰謝料を手にします。時遠からずして銀行家 兼 弁護士だった実父が亡くなり、今度は多額の遺産を相続。“鬼に金棒”とは言いますが、こうなるともう“金棒に爆撃機”。もともと裕福だった社長夫人に莫大な慰謝料と遺産がほぼ同時期に転がり込んだのですから、もう向かうところに敵なんてありゃしません。
さて、「悪夢のような物語」の本編はここからです。ジェンキンス女史は自他ともに認める熱狂的な“オペラ愛好家”でした。そして自はまったく認めずも他は全会一致の“極悪音痴”だった女史は、大戦真っ只中の不穏な世相を憂い自分の歌でアメリカ社会を少しでも明るくしよう!と奮い立ちます。そして決行された一大プロジェクトが、音楽の殿堂:カーネギーホールでの「ソロ・リサイタル」でした。われわれ一般人ならただの冗談で終わるのでしょうが、アメリカはお金と権力さえあれば何でも叶ってしまう国です。
悪夢の物語はさらに続きます。1944年10月25日に行われたカーネギーホールでのソロ・リサイタルは、数週間前に全席売り切れの大盛況。長引く大戦に飽き飽きしていたアメリカの富裕層は、いよっ!待ってましたー!と先を争うように金を払い、心ゆくまで腹の皮をよじらせたのです。当時、ソロでカーネギーホールを満席に出来るのはヤッシャ・ハイフェッツ(20世紀クラシック音楽界屈指のバイオリンの巨匠)くらいだったそうで、チケットの完売が女史の勘違をターボ級に加速させたであろうことは容易に想像できます。
ここまで有名(有迷!?)になった自称:オペラ歌手を、アメリカのレコード会社が黙って放っておくはずがありません。「マダムの音楽を後世に残しましょう!」という大義名分のもと、1941-44年の間に録音してあった音源を「いまだっ!」とレコード化したところ、発売直後から大ヒットを記録。発売元のRCA(※)は想定外の臨時収益に、終戦とはまったく別な意味で狂喜乱舞したそうです。そして現在、その秘めたる芸術性を理解出来ずに失笑した我々を嘲笑うかのように、女史のレコードは最新のリマスターが施されたCDとなり世界中でふつーに流通しています。さあ!ボブログ読者のみなさまもせひ一度、何かの間違いで21世紀まで生き残ったジェンキンス女史の絶唱を聴いてみて下さい。その凄まじさは音程だけではありません。テンポといいリズムといい、それはそれは見事なまでに「極悪」です。
(※Record Company of America=米国最大級のレコード会社。古くは名テノールのカルーソーや名指揮者トスカニーニ、また巨匠ルービンシュタインやハイフェッツなど、多くのマエストロたちが所属していた名レーベル。かのエルヴィス・プレスリー氏も1955年11月からこのRCAと契約して世界的成功を手にした)
第三章:カズーを舐めたらいかんぜよ!(アルミの味がするからね)
続いての「迷盤」を紹介する前に、その作品を制作/発売した勇気あるレコード・レーベルの話から。それは1978年の創設以来、世界中の音楽愛好家がこぞって愛でる「ライノ(Rhino Records)」です。古い音楽作品にリマスターや再編集を施し、新たな作品として脚光を浴びせるのがとても巧みなレコード・レーベルで、2021年現在も音楽業界の内外で絶大な信頼を獲得しています。ちなみに私はレコードやCDを選ぶ時、監修のクレジットに「Rhino」と入っていれば→ハズレなし!と判断し、安心してお金を払っています。
Rhino Recordsのビジネスの始まりは、1973年に米国カリフォルニア州のWest BoulevardでRichard Foos氏が始めた小さなレコード店でした。そこの店長さんだったHarold Bronson氏を相棒に、1978年から独立系レーベル(=インディーズ)としてレコード制作と流通を始めます。
さてここからが本題。今回読者のみなさまに紹介したいのが、ライノ初期の1978年に制作された大傑作にして大迷盤!「2001年カズーの旅/テンプル・シティ・カズー・オーケストラ(2001 SPRACH KAZOOSTRA/Temple City Kazoo Orchestra)」であります。
物語は、かの有名なバークリー音楽院を卒業したDavid Hummsという若い音楽家が高校の仲間11人を集めてカズーだけのオーケストラを結成したところから始まります。地元テンプル・シティでの人気ぶりを聞きつけたライノがレコード録音を持ちかけ、売る気満々で発売したという珍盤中の珍盤がこれです。
先記のジェンキンス女史と併せて、私はこれらのレコードを 山下達郎氏のサウンド・ストリート (※)というラジオ番組で初めて聞きました。(※NHK-FMで月-金の夜22:00-23:00に放送されていた音楽番組。当時高校生だったeasymanが絶賛お世話になっていた1983年頃は、月曜=佐野元春氏、火曜=坂本龍一氏、水曜=甲斐よしひろ氏、木曜=山下達郎氏、金曜=渋谷陽一氏という、もう二度と再現不可能な鉄壁の布陣だった)
このアルバムは、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」のテーマ曲に始まり、レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love)」やディスコ鉄板の「ステイン・アライヴ(Stayin’ Alive)」、クラシックの名曲をメドレーで一気に吹き倒す「Kazooed on Klassics(←頭文字はCではなく”K”です…)」など。大のおとなが寄ってたかって11人しかもカズーだけで奏でるその音楽は、もはやスピルバーグやルーカスの映像作品にも匹敵する超大作と言えます。このテンプル・シティ・カズー・オーケストラが貴殿の音楽ライフを次の次元に誘うであろうことはもう約束されたようなものです。
-音楽食堂Vol.7は以上-
最後に、ボブログ音楽食堂「バックナンバー」のご案内。 毎月「5日」に新規投稿します!
Vol.1「心が洗われるような、いい音楽ありませんか?」は→コチラから!
Vol.2「踊るROCKに観るROCK、ちょっぴり大人のAOR」は→コチラから!
Vol.3「アラ40/アラ50のお手本としてアニーとクリッシーを拝むべし!」は→コチラから!
Vol.4「アラ40アラ50にオススメしたい! 69歳の女性ロック・シンガー、クリッシー・ハインドの傑作スタンダード集」は→コチラから!
Vol.5「おうちにいてもワイハでアロハ!!の巻」は→コチラから!
Vol.6「違いの分かる女が斬る! J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲のあれこれ!」は→コチラから!
次回Vol.8の予定は・・・「Beatlesじゃないビートルズたち!?」「私をディーヴァと呼ばないで!」のどちらかになりそうです!
AUTHOR /easyman
ビートルズが来日した年の生まれ。美容師・介護士の免許と実務経験があり、座右の銘は“髪(かみ)のケアから下(しも)のケアまで”。某美容メーカーの教育部門に19年間勤務し、なぜかプロ音楽家との演奏経験あり。一人しかいないのにナンバーワン営業マンと呼ばれる髪書房の特攻隊長。